渡辺建設40年の歩み「もはや戦後ではない」

昭和27年に対日講和条約が発効し、米軍の占領行政から開放された我が国は国際社会の一員として歩み始めた。経済も着実に拡大基調をつづけ、昭和31年7月発表された政府の経済白書はこの時代を評して“もはら戦後ではない”とした。栃木県内では、昭和29年に第1いろは坂有料道路が完成し、31年には竣工した五十里ダムの貯水が始まった。

栃木県内に対する企業の進出や設備投資の活発化、日光、那須、塩原等への観光客誘致等により栃木県内経済にも高度成長の波がおしよせた。このため、建設についても道路、土木、建築ともそれぞれ本格的な大型工事の出現がうながされた。渡辺建設は昭和32年建設大臣への業者登録をなし、群馬出張所、茨城出張所を開設、翌33年には資本金300万円に増資し、企業としての商圏規模の拡大をはかり、栃木県外進出への第一歩をふみだした。また、社内的にも今泉工場をはじめ、アスファルト合材施設の設置、舗装技術者の養成、施工機械の技術習得や整備に意欲的にとりくみはじめた。

受注面では34年、建設書から初受注するとともに、民間工事についても宇都宮女子商業高校や宇都宮学園等の学校施設建築、東武西口広場舗装等工事の受注が増加し、31年の工事完成高3000万円から35年には約2億円に急増した。

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