渡辺建設40年の歩み「有史以来の神武景気」

産業界は設備の近代化投資が一段と活発化し、国民生活面においても消費の大幅な拡大がみられ、冷蔵庫、テレビ、洗濯機が三種の神器ともてはやされるなど経済成長は神武景気から岩戸景気に発展したとされた。昭和35年の安保闘争のあと登場した池田内閣は、所得倍増計画を発表して国民にアピール。その高度成長政策は、39年のオリンピック東京大会とあいまって景気をさらに加速した。このため大企業の地方進出はさらに急ピッチとなり、名神・東名をはじめとする高速自動車網の建設も本格的に開始された。渡辺建設は、この時代の高度成長の波にのり事業の拡大を図るため、その組織、人材、設備などの充実を積極的に推進した時期であった。

昭和36年埼玉支店設置、39年東京支店設置、関東瀝青工業株式会社設立(川口市、古河市にアスファルトプラント2工場)生コンプラント建設(宇都宮市今泉新町構内)、40年館林支店設置。39年建設した生コンプラントは105t/Hの能力をもつ当時の新鋭設備であり、5億円前後の工事量の当社が1億4000万円を投じた経営陣の英断であった。そして、この建設がその後の40年代の爆発的成長の起爆剤となった。急速な業績の拡大に伴い、設備投資とともに人材の確保につき特に意をそそぎ、工事関係技術者とともに営業、経理、そのたの事務管理部門の人材の充実が図られた。

この年代に入社した社員の多くが、現在の幹部役職員となっている。また、39年には労務管理体制を整備して、現場技術者の準社員制度を設けた。この時期の工事は、官公庁の道路、土木、建築、水道などの受注が拡大するとともに、民間の得意先についても、浦和や宇都宮の自動車教習所その他のコース新設や、宇都宮ゴルフ場などレジャー施設などの受注がふえ、工事高は40年5月末決算で約6億8000万円と順調に拡大した。

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